ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
バリトン、バス
1925 — 2012
1925年、古典文学者の父親と音楽教師の母親のもと、ベルリンに生まれた。
16歳から本格的に声楽のレッスンを受け始め、最初はA. ヴァルターに師事した。1942年にベルリン音楽院でヘルマン・ヴァイセンボルンに師事。しかしドイツ軍の招集を免れることはできず、戦地へ送られた。イタリアで投獄されるが、その監獄内で初めてのコンサートを行う。ドイツに送還された1947年に、音楽院へ復学した。
ベルリンのラジオ局のために歌うようになり、歌手としてのキャリアをスタート。いくつかの歌劇場に客演したが、大きな転機は1951年に訪れた。ザルツブルク音楽祭でフルトヴェングラーの指揮の下、《さすらう若者の歌》を歌ってデビュー。その後初めてアメリカに渡り、《冬の旅》を披露した。その後多くの音楽祭にデビューを重ねる。1954年バイロイト音楽祭で、フルトヴェングラーの指揮による《タンホイザー》にヴォルフラム役で出演すると、その評判は高まる一方となった。同年にはウィーン国立歌劇場でファルスタッフも演じ、1957年からは固定アンサンブルの一員となった。
その後世界の名だたる歌劇場や音楽祭で歌い、1992年に45年のキャリアを閉じるまで、精力的に活動した。
オペラの傍ら、リートの解釈でも高い評価を得る。1980年代半ばまでに、100人以上の作曲家の約3000の歌曲を録音。また指揮者、教育者、朗読者など活動は多岐に渡った。
2012年86歳で没した。