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ヴラディーミル・アシュケナージ

ヴラディーミル・アシュケナージ

ピアノ、指揮

当代一流の音楽家であるウラディーミル・アシュケナージは、1937年にソ連のゴーリキーで生まれた。6歳でピアノを弾き始め、8歳でモスクワ音楽院附属中央音楽学校に入学。その後モスクワ音楽院でレフ・オボーリンに師事した。1955年にワルシャワのショパン国際ピアノ・コンクールで第2位を獲得し、1956年にブリュッセルのエリーザベト王妃国際音楽コンクールで第1位に輝き、1962年のチャイコフスキー国際コンクールではジョン・オグドンと第1位を分け合った。以来アシュケナージは、今日の最も有名かつ敬愛されているピアニストの一人としてのみならず、極めて幅広い活動を展開するアーティストとして卓越したキャリアを築き、世界中の音楽愛好家たちにインスピレーションを与え続けている。 アシュケナージは、1979年に上海で撮影された『毛沢東以後の音楽 Music After Mao』や、1989年の『モスクワのアシュケナージ Ashkenazy in Moscow』など、幾つもの映像プロジェクトに携わってきた。後者は、1960年代にソ連を離れて以来、初めて生まれ故郷を訪れた彼を追った記録映像である。また、1999年には、NHKの教育番組「スーパー・ティーチャーズ」に、ロンドンのインナーシティに住む子供たちとともに出演した。 ここ数十年間、アシュケナージの活動の大半を占めているのは指揮である。彼は、ベルリン・ドイツ交響楽団の首席指揮者と音楽監督 (1988–1996) 、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者 (1998–2003) 、東京のNHK交響楽団の音楽監督 (2004–2007) 、シドニー交響楽団の首席指揮者と芸術アドヴァイザー (2009–2013) を歴任。シドニー交響楽団とは、作曲家フェスティヴァル、録音、海外ツアーなど、数多くの刺激的なプロジェクトを繰り広げ、 2013年11月の任期最後のコンサートではブリテンの《戦争レクイエム》を取り上げた。 これらのポストに加え、アシュケナージはフィルハーモニア管弦楽団とも長年良好な関係を結んでおり、同団から桂冠指揮者の称号を贈られた。同団とは毎シーズン、ロンドンおよび英国中で演奏する他、世界各地でも共演しており、ニューヨークのリンカーン・センターでは画期的なプロジェクト(2002年の「ラフマニノフ再考」、2003年の「スターリン体制化のプロコフィエフとショスタコーヴィチ 」)を展開。2003年のプロジェクトはドキュメンタリー映像にもなった。バッハからバルトークまで、幅広いレパートリーを誇るアシュケナージがデッカ・レコードで築いたディスコグラフィは、膨大な数に上る。その幾つかは、グラミー賞に輝いた (ゲオルク・ショルティ指揮シカゴ交響楽団とのベートーヴェンのピアノ協奏曲集、イツァーク・パールマンとのベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ集、ラヴェルの独奏曲集、『ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガ』) 。 またアシュケナージは、EUユース管弦楽団の音楽監督も務め、毎年ツアーを行った。アイスランド交響楽団、NHK交響楽団、シドニー交響楽団の桂冠指揮者。スイス・イタリアーナ管弦楽団の主席客演指揮者。以前に首席客演指揮者を務めたクリーヴランド管弦楽団など、他の主要なオーケストラとも密な関係を維持しながら、世界中の多くの一流オーケストラに客演した。2020年、コンサート活動からの引退を表明。