ヨーハン・ダーフィト・ハイニヒェン
作曲
1683 — 1729
1683年生まれのハイニヒェンはバッハやテレマンと同世代の作曲家である。幼いころから音楽の教育を受けていたと思われるが、大学では法律を専攻した。弁護士資格も獲得しており、1709年まで法律の世界で活動した。
しかしその後音楽家の道に転身し、1710年からイタリアに留学。2年後ドイツに帰国すると、歌劇で成功を収めるようになる。
1716年からドレスデンの宮廷に楽長として仕え、バッハの同僚として働いた。
多くのミサ曲、マニフィカト、歌劇など、生涯に250曲ほどを作曲。それらは生前出版されることはなかったが、後年になってその功績が注目されることになった。
また、1710年には通奏低音に関する論文も発表し、当時の重要な文献の一つだった。
1729年にドレスデンで死去した。