チャールズ・アイヴズ
作曲
1874 — 1954
コネチカット州生まれのアイヴズは、変わった経歴の持ち主である。父親から音楽の手ほどきを受け、イェール大学でホレイショ・パーカーに作曲を習ったが、経済的に不安定な芸術家の道を選ぶことはなく、保険会社の社員として就職した。
その後友人と保険会社を立ち上げ、作曲は趣味として続けた。会社は成功し、ビジネスマンと作曲家の二重生活を送るが、1918年最初の心臓発作に見舞われた。多忙な中、大規模な管弦楽曲、室内楽曲、歌曲約200曲など、多くの作品を生み出した。彼の作品には、様々なアメリカの民族音楽の要素が使われている。また、微分音やクラスターなどを利用した実験的な作品も生み出した。
長い間、アイヴズの作品は音楽界から無視されているに等しかった。その斬新さは必ずしも好まれず、評判が高まってきたのは後年になってからである。1930年ごろからようやく作品が演奏され始め、1946年に交響曲第3番《キャンプ・ミーティング》(1904年) が初演され、その翌年にこの曲でピューリッツァー賞を受賞した。
1954年にニューヨークで死去。