ヴィトルト・ルトスワフスキ
作曲、指揮
1913 — 1994
ワルシャワの音楽一家に1913年に生まれる。子供のころからピアノとヴァイオリンを習い、ワルシャワ音楽院で作曲を学んだ。1945年ごろまではストラヴィンスキーの影響を受けていたが、その後自国の民族音楽との融合に目覚めていく。ポーランドの民謡などを熱心に研究し、1954年の管弦楽のための協奏曲にも取り入れている。
「雪解け」までの間、非難を避けるため密かに新しい技法を研究する。その結果実験的な作品を生み出すようになり、1958年の「葬送音楽」においては12音技法にも似た新たな和声法を取り入れている。弦楽四重奏 (1964年) 管弦楽曲《ヴェネツィアの遊び》(1961年) や交響曲第2番 (1967年) などには、「管理された偶然性」を採用した。
1959年にはポーランド人として初めて国際現代音楽協会の委員に選出された。
1983年以降は交響曲、協奏曲、パルティータなど、伝統的なスタイルを踏襲した作品を多く生み出すようになった。
1994年、ヴァイオリン協奏曲を作曲中に急死した。