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フローレンス・プライス

フローレンス・プライス

作曲

1887 — 1953
1887年にアメリカ合衆国アーカンソー州に生まれる。音楽教師の母から最初の教育を受け、父親も娘のピアノと作曲の才能を認めて支援していた。男性優位の社会だったにも関わらず、彼女はニューイングランド音楽院への入学を許され、作曲と対位法を学ぶ。アフリカ系アメリカ人であることを隠し、メキシコ人として入学した。 卒業後の1906年からは故郷で生徒を教え始める。当時は黒人と女性に対する差別がまだ著しかったが、大学の教職をはじめ、順当にポストを得た。1927年に結婚、シカゴで新生活を始める。無声映画のためにオルガンを演奏するなどして、定収入を得ていた。アルト歌手であるマリアン・アンダーソンと出会い、友情を結んだのもこのころである。フローレンスの作曲家としての地位は少しずつ確立されていき、コンクールでの入賞も後押しとなって、1933年にはシカゴ交響楽団が彼女の交響曲第1番を演奏。「非の打ち所がない作品」と言わしめた。交響曲第2番は失われているが、第3番はフェデラル・ミュージック・プロジェクトの委嘱によるもので、1940年に初演されている。交響曲第4番にはアフリカ系アメリカ人の舞曲ジュバを使用した。彼女は、自身の中に根付く音楽を、クラシック音楽と融合させようと試み、ピアノ協奏曲 (1934年) や、3楽章からなる管弦楽曲《アメリカにおけるエチオピアの影》には黒人霊歌のメロディーが使用されている。 66歳で死去。まさにその名が国際的に知られようとしている中での死だった。