アルヴォ・ペルト
作曲
1935年エストニアのパイデに生まれ、ソヴィエト連邦の勢力下で育つ。タリン音楽院で作曲を学んで1963年に卒業した。初期の作品ではショスタコーヴィチやプロコフィエフ、バルトークらに影響を受けている。また、12音技法やミュージック・セリエルの様式も用いていた。
創作活動を一時休止し、ラジオ放送局で働いていた時期もあったが、1960年代後半から、簡素な音の組み合わせを繰り返す「ティンティナプリ」という独自の作曲技法を開発。ルネサンスの多声聖歌やグレゴリオ聖歌など、「祈り」を主体とした音楽を探求するようになる。このティンティナプリの確立を印象付けたのは1976年のピアノ曲《アリーナのために》とされている。1977年の《タブラ・ラサ》、《カントゥス-ベンジャミン・ブリテンの思い出に》で彼の名は国際的に知られるようになった。
1980年にウィーンに移住。後期の大曲としては、ヨハネ受難曲やミゼレーレなどの合唱曲と、4曲の交響曲が挙げられる。
2010年にエストニアに帰国し、アルヴォ・ペルト・センターを設立。2014年にはグラミー賞合唱部門を受賞している。