トーマス・クヴァストホフ
バスバリトン
トーマス・クヴァストホフは1959年にドイツのヒルデスハイムで生まれ、1972年にハノーファーのシャルロッテ・レーマンとエルンスト・フーバー =コントヴィヒの下で声楽を学び始めた。ミュンヘン国際音楽コンクールでの優勝、モスクワのショスタコーヴィチ賞、ハマダ・トラスト/スコッツマン・フェスティバル賞など、輝かしい受賞歴を誇る。
1995年のオレゴン・バッハ音楽祭でのアメリカ・デビューは、同国での華々しい成功の礎となった。各地の一流のホールや音楽祭で世界屈指のオーケストラや指揮者とともに演奏してきたクヴァストホフは、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に頻繁に客演し、クラウディオ・アバド、ダニエル・バレンボイム、クリストフ・エッシェンバッハ、ジェイムズ・レヴァイン、ベルナルト・ハイティンク、マリス・ヤンソンス、ズービン・メータ、リッカルド・ムーティ、小澤征爾、サイモン・ラトル、ヘルムート・リリング、クリスティアン・ティーレマン、フランツ・ヴェルザー= メストらと密な関係を築いた。1999年、シューベルトの《冬の旅》でカーネギー・ホールにデビューし、その後も同ホールで定期的に歌った。2003年、サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との共演で《フィデリオ》の大臣を演じ、オペラ・デビュー。2004年にはワーグナー作曲《パルジファル》のアムフォルタス役でウィーン国立歌劇場へのデビューを飾った。
クヴァストホフは、ウィーン楽友協会、アムステルダムのコンセルトヘボウ、カーネギー・ホール、ルツェルン・フェスティバル、バーデン・バーデン、ハンブルク、ロンドンのウィグモア・ホール、バービカン・センターで、アーティスト・イン・レジデンスを任されてきた。また、1996年から2004年までデトモルト音楽大学で教鞭をとり、2004年からはベルリンのハンス・アイスラー音楽大学で教授を務めている。
1999年にドイツ・グラモフォンの専属録音アーティストとなったクヴァストホフのレコーディングは、グラミー賞 (3回) 、エコー賞 (6回) 、BBCミュージック・マガジン賞、アマデウス音楽賞、オルフェ・ドール賞など数多くの国際的な賞に輝いている。また彼は、ヒルデスハイムの名誉リング、ドイツ連邦共和国功労勲章、ヨーロッパ文化賞 (音楽部門、ドレスデン聖母教会) 、傑出した演奏家に贈られるヘルベルト・フォン・カラヤン音楽賞を授与された。
クヴァストホフは、2012年に歌手活動を引退した後も、教師として声楽や音楽と深い関係を結び続けている。次世代の歌手の支援に情熱を注ぐ彼は、「ダス・リート」国際声楽コンクールを立ち上げた。またマスタークラスの指導者として、ハイデルベルクの春音楽祭 、ヴェルビエ音楽祭 、ロストックのサマー・キャンパス、オールドバラ音楽祭に参加している。献身的な教育活動に加え、ナレーター、コメディアン、司会、さらには俳優として、新たな才能を発揮。2015年に再びヴェルビエ音楽祭の舞台に立った彼は、バッハの《マタイ受難曲》を振り、指揮デビューを果たした。