ネマニャ・ラドゥロヴィチ
ヴァイオリン、ヴィオラ
人生の喜びと悲しみは、ネマニャの音楽作りを通じて濃厚に表現される。フランス系セルビア人ヴァイオリニストであるネマニャは、ヴィルトゥオーゾたちの偉大な伝統を受け継いでいる。実際、彼は、人間がもつ全ての感情を感じ取り、自身の楽器を通してそれらを伝えることができる稀有な演奏家の一人である。 クラシック音楽の境界を広げ、あらゆる年齢の様々なバックグラウンドを持つ聴衆に演奏を届けたいと切に願うネマニャは、多くの新しい聞き手を魅了し、ヴァイオリン・レパートリーに新鮮かつ洞察力に富んだ眼差しを注いできた。
1985年に旧ユーゴスラヴィアのニシュで生まれたネマニャは、7歳の時にヴァイオリンに出会い、目覚ましい才能を示した。音楽家の家族に勧められて地元の音楽学校に通った彼は、絶対音感を持っていると指摘された。また彼は、同校の3年間の教育課程をわずか2週間で終えた。初めてヴァイオリンを手にしてから6か月後、ネマニャはヴィヴァルディの協奏曲のソリストとして公の場で初めて演奏した。1990年代後半、ザールブリュッケンの音楽演劇大学でジョシュア・エプスタインに師事し、ベオグラード大学の芸術音楽学部でデヤン・ミハイロヴィッチに師事した。14歳の誕生日を迎えた直後、家族とともにパリに移り、パリ国立高等音楽院で著名なフランス人ヴァイオリン奏者パトリス・フォンタナローザに師事した。2001年、ジョルジョ・エネスコ国際コンクールで第1位に輝き、その勢いのまま2年後にはハノーファーのヨーゼフ・ヨアヒム国際コンクールで優勝。2005年、権威あるヴィクトワール・ド・ラ・ミュジーク賞(パリ)の海外新人演奏家部門に輝き、9年後、同賞の年間最優秀器楽奏者部門でも受賞を果たした。
ネマニャは2006年、マキシム・ヴェンゲーロフの代役を務め、国際的な活躍の足掛かりをつかんだ。この時、チョン・ミョンフン指揮フランス放送フィルハーモニー管弦楽団との共演でベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のソリストを務め、大いに絶賛された。翌年には、国際的なライジング・スターの通り道とも言えるカーネギー・ホールでのリサイタル・デビューを果たし、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・ドイツ交響楽団、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、モントリオール交響楽団など数々の世界屈指のオーケストラと共演した。これまでの彼の活躍のハイライトとして、高い評価を得たボーンマス交響楽団のレジデント・アーティストとしての活動、フィルハーモニー・ド・パリでのアレクサンドル・ブロック指揮イル・ド・フランス国立管弦楽団との共演(バーバーのヴァイオリン協奏曲)、東京でのシモーネ・ヤング指揮読売日本交響楽団との共演(ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番)、トスカーナでの大植英次指揮トスカーナ管弦楽団との共演(プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番)、サッシャ・ゲッツェル指揮ボルサン・イスタンブール・フィルハーモニー管弦楽団との共演(ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲)、そして「I, CULTURE」オーケストラとのヨーロッパ・ツアー(ラジオ・フランス・モンペリエ音楽祭への出演とコペンハーゲンのチボリ・コンサート・ホールでの演奏を含む)が挙げられる。ネマニャは室内楽にも情熱を注いでおり、パリのサル・プレイエルやシャンゼリゼ劇場、ブエノスアイレスのテアトロ・コロン、メルボルン・リサイタル・センターなど、世界屈指の会場で演奏を行ってきた。クラリネット奏者アンドレアス・オッテンザマー、アコーディオン奏者クセーニャ・シドロワ、ピアノ奏者ロール・ファヴル=カーンとは、特に密なコラボレーションを築いており、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン、グシュタード、ペリゴール・ノワール、アンペリアル・アネシーの各音楽祭に出演した。
ネマニャは2014年にドイツ・グラモフォンと専属録音契約を結び、デビュー・アルバム『ジャーニー・イースト』を2015年にリリースした。ブラームス、ドヴォルザーク、ハチャトゥリアンらの作品を含む、東ヨーロッパをルーツとする音楽を収めた同アルバムにより、ネマニャはエコー・クラシック賞の新人賞を贈られた。 クラシック音楽の分野での功績が認められ、ヴィクトワール・ド・ラ・ミュジーク・クラシック賞の海外新人演奏家部門に輝いた彼は、ニシュ(セルビア)の芸術大学から名誉博士号を授与され、エル(ELLE)・スタイル・アワードの「ミュージシャン・オブ・ザ・イヤー」に選出された。