ドメニコ・スカルラッティ
作曲
1685 — 1757
1685年、有名な作曲家アレッサンドロ・スカルラッティの子として、ナポリに生まれる。父の命令で、15歳で教会付きの作曲家兼オルガニストに就任。その後もローマやヴァチカンで音楽監督の職に就くが、父親の意向によるものでドメニコにとってはさほど魅力的な地位ではなかった。
30歳を過ぎたころ、ポルトガルのフォンテス侯爵と知り合ったことをきっかけに、ポルトガル王より王室礼拝堂の楽長の職に任命される。1719年にリスボンに到着。楽長職の傍ら、のちにスペインの女王となるマリア・バルバラに音楽を教えた。マリア・バルバラは知的で才能にあふれたチェンバロ奏者で、スカルラッティは生涯にわたり彼女に奉仕する。彼女のために500以上のソナタを書き、それが後世に彼自身の名を広めることとなった。
スカルラッティの鍵盤楽器のためのソナタは、ほとんどが二部形式をとっており、型破りな手法に富んでいる。大胆な転調や突然の休止など、聴く者の予測を裏切って展開するのが特徴である。
マリア・バルバラがスペイン王家に嫁いだのをきっかけに、マドリードへ移住。移住後の生活については、情報があまり残されていないが、声楽作品にはスペイン音楽からの影響がみられる。1757年、同地で没。鍵盤作品のみでなく、歌劇や宗教曲なども残している。