カロル・シマノフスキ
作曲
1882 — 1937
1882年、現在のウクライナでポーランド貴族の家に生まれる。父親が裕福な大地主だったシマノフスキは、芸術を愛する家庭に育った。
1901年からワルシャワで音楽を学び、同地でアルトゥール・ルービンシュタインをはじめとする「若きポーランド」のメンバーと知り合う。1906年に演奏会用序曲 op. 12が初演されるが、このころの作品はまだ後期ロマン派の影響が色濃く残っていた。
その後独自の作風を確立していく。ヴァイオリンとピアノのための《神話》(1915年) 、交響曲第3番《夜の歌》 (1916年) 、ヴァイオリン協奏曲第1番 (1916年) などの作品において、フランス印象派や、神秘主義の影響が随所にみられる。
1917年、ボリシェヴィキの一団がシマノフスキの一家を襲撃、美術品やピアノなを略奪・破壊した。経済的、そして精神的にに打ちのめされたシマノフスキだが、1917年に歌劇《ロゲル王》の構想を練り始める。イヴァシュキェヴィッチとの共作だった台本の執筆に2年を費やし、その後作曲にも取り掛かって1924年に完成した。
1918年以降はポーランドの民族音楽の要素を取り入れ、バレエ音楽《ハルナシェ》(1931年) やヴァイオリン協奏曲第2番 (1933年) などで、そのリズムを生かして作曲している。
1927年にはワルシャワ音楽院の院長となったが5年後辞任に追い込まれ、経済的に困窮した。1937年、肺結核治療のため各地を転々とし、ローザンヌで54歳で亡くなった。