アントン・ヴェーベルン
作曲
1883 — 1945
ヴェーベルンは貴族の家に生まれ、音楽を愛好する家庭環境に育った。1902年よりウィーン大学でギド・アドラーに音楽学を師事し、1904年からはシェーンベルクに作曲を師事、師から大きな影響を受ける。独立後は積極的に指揮活動を行い、盟友のベルクが急逝した際には、遺されたヴァイオリン協奏曲のイギリス初演も担当した。
作曲家としては、作品数が少ないにもかかわらず、後進への影響は多大なものがある。初期の作品《夏風の中で》や「パッサカリア」では器楽的、また和声的色彩へのこだわりがみられ、後期ロマン派的作風をとっているが、弦楽四重奏のための「5つの断章」op. 5 (1909年) 以降、削ぎ落とされた簡潔さや無調性等、ヴェーベルンの個性が表れるようになった。「管弦楽のための5つの小品」op. 10 (1911-13年) は、極度に凝縮された音楽だが、「4つの管弦楽伴奏歌曲」op. 13 (1914-18年) 以降はさらに複合的な性格を示してゆく。十二音技法を用いた最初の例は、「3つの宗教的民謡」op. 17 (1924年) で、以降の作品はすべて十二音技法で作曲された。1938年のナチスによるオーストリア合併以降は、「退廃音楽」の烙印を押されて上演と活動が制限されるようになり、演奏で生計を立てることが困難になった。1945年ウィーンを去り、ザルツブルクの娘の家に疎開していたところ、同年9月15日、アメリカ兵に状況を誤解され、射殺された。