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エドワード・エルガー

エドワード・エルガー

作曲

1857 — 1934
1857年、イギリスのウスター近郊で生まれる。父親がヴァイオリンとオルガンをたしなんだため、エルガーは彼から音楽の手ほどきを受けた。しかし、音楽学校に通うための資金がなく、ほとんど独学で作曲法を身につけた。 29歳の時、弟子のひとりとしてキャロライン・アリス・ロバーツを迎える。彼女は3年後にエルガーの妻となり、彼は婚約の際に《愛の挨拶》を捧げた。 エルガーは、長い間認められなかったが、転機となったのは、1899年の「エニグマ変奏曲」ロンドン初演である。彼はこの時、すでに40歳を超えていたが、初演の成功で名声が一気に高まった。合唱と管弦楽のための《ゲロンティアスの夢》(1990年) は、リヒャルト・シュトラウスから絶賛されたため、彼の名はまたたく間にヨーロッパ中に広まった。また、1901年から30年にかけて作曲された行進曲集《威風堂々》は、エルガーの最も知られた作品である。 以降、オラトリオ《使徒たち》(1903年)、交響曲第1番 (1908年)、ヴァイオリン協奏曲 (1910年) などを次々と作曲する。1904年にはナイトに叙されるなど、エルガーはイギリスを代表する作曲家となった。 しかし、1920年に妻のアリスが肺がんで亡くなると、作曲意欲も低下し、人気も過去のものとなっていった。1926年以降は、自作の録音も手掛けたが、エルガーは録音に真剣に取り組んだ初期の作曲家に数えられる。 1934年、癌のために76歳で死去し、妻の隣に埋葬された。