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ミレッラ・フレーニ

ソプラノ

1935 — 2020
常に若々しく溌剌としていたミレッラ・フレーニは、イタリアの伝統を守る最後の偉大なソプラノ歌手として絶えず高く評価されてきた。彼女のニュアンスに富んだ歌唱は、ベルカント唱法の模範であり続けている。過去50年間で最も素晴らしいミミ役として広く絶賛された彼女の歌は、その繊細なフレージング、極めて多彩な声質、そして音楽的・演劇的な真実を新たに発見する能力によって、世界中の批評家たちから歓迎された。 フレーニは1955年、故郷モデナで《カルメン》のミカエラを演じデビューし、その後は数シーズンにわたりイタリアの多くの主要な歌劇場で歌った。 1963年、《ファルスタッフ》のナンネッタ役でミラノ・スカラ座にデビュー。翌年、巨匠ヘルベルト・フォン・カラヤンからの指名でフランコ・ゼフィレッリの新演出《ラ・ボエーム》のミミにキャスティングされ、すぐさま国際的なスターの座をつかんだ。 フレーニは瞬く間にウィーン国立歌劇場などの世界屈指のオペラ・ハウスに客演。ウィーン国立歌劇場での活躍に対し、オーストリア政府から名誉ある「宮廷歌手」の称号を授与された。北米では、1965年にミミ役でメトロポリタン歌劇場の舞台に初めて立ち、引き続き同役で、サンフランシスコ、シカゴ、ヒューストン、フィラデルフィア、マイアミにデビューした。 1970年、フレーニはザルツブルク音楽祭で《オテロ》の新制作に出演(共演はジョン・ヴィッカーズ)。これを機に、純粋なリリック・ソプラノのレパートリーから、徐々にスピントの役へと移行していく。おそらく、フレーニのキャリアに最も深い影響を与えた指揮者は巨匠カラヤンであるが、彼女はさらに、クラウディオ・アバド、ロベルト・アバド、カルロ・マリア・ジュリーニ、カルロス・クライバー、ジョルジュ・プレートル、ジェームズ・レヴァイン、リッカルド・ムーティ、小澤征爾、ジュゼッペ・シノーポリらと幅広く共演した。1970年代・1980年代のフレーニは、ヴェルディ、プッチーニ、ロシアの作曲家たちの主要な作品に取り組みレパートリーを広げ続け、《アドリアーナ・ルクヴルール》、《フェードラ》、《マダム・サンジェーヌ》、《オルレアンの少女》の題名役にも新たに挑んでヴェリズモ・オペラのレパートリーを探求した。 2005年5月15日、メトロポリタン歌劇場はフレーニの70歳の誕生日とオペラ・デビュー50周年、同歌劇場へのデビュー40周年を祝した。その後すぐに、引退。音楽界にとって、長年にわたり傑出したキャリアを築いた伝説的な歌姫フレーニとの、予告なしの別れとなった。フレーニは、その後もヨーロッパ、北米、アジアで積極的にマスタークラスを開いた。メトロポリタン歌劇場のリンデマン・ヤング・アーティスト育成プログラムで指導した他、オーストリアのインスブルックとドイツのリューベックでもマスタークラスを行い、イタリアのヴィニョーラの声楽研究アカデミーでも旺盛に後進の指導に励んだ。晩年、モデナの自宅で家族3世代で団欒し、サッカーの試合を熱心に観戦したフレーニは、2020年に84歳で逝去した。