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フリードリヒ・グルダ

フリードリヒ・グルダ

ピアノ、作曲

1930 — 2000
フリードリヒ・グルダは、1946年、16歳でジュネーブ国際音楽コンクールに優勝し、以来、同世代を代表するピアニストの一人となった。ウィーン古典派の卓越した解釈者であると同時に、音楽界で最もエキセントリックな性格の持ち主でもあり、「音楽関係者」や過度に飾りたてた演奏を痛烈に嘲笑し、クラシック音楽ビジネスに対して疑問を呈した。 2歳年下の同僚グレン・グールドと同様、グルダはほとんどすべてのロマン派の作曲家と距離を置いていた。しかし、グールドとは異なり何よりもモーツァルトを愛したグルダは、彼について「人類にとって最も偉大な恩人のひとり」と評している。他方で、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集の演奏と録音は、この作曲家の受容史における記録的ハイライトである。彼はまた、ドビュッシーの作品にも集中的に取り組み、後年にはキャリア初期に大成功を収めたショパンの音楽にも回帰した。 音楽評論家のヴォルフガング・サンドナーは、しばしば批判されるグルダのジャズへの傾倒について、「喜んで才能を発揮したであろう天才」と書いたことがある。しかし、彼はカーネギーホールで鮮烈なデビューを飾った1950年代から早くもジャズに魅了されており、数年後に彼も演奏することとなる伝説的なバードランド・クラブにも訪れている。チック・コリアやジョー・ザヴィヌルといった巨匠たちとも共演し、自身のプログラムに革新的な即興演奏を織り交ぜたほか、晩年はテクノ・パフォーマンスやイビサ島でのミュージック・パーティーを通じて反骨精神を強めた。 クラシック音楽の解釈者としての名声がそれらの影響で傷つくことはなかった。ドイツの高名な批評家ヨアヒム・カイザーも、比類なきベートーヴェン奏者としての彼の地位を疑わなかった。1999年、重病に冒されたグルダは自身で訃報を流布したが、結局は「復活コンサート」で再び聴衆の前に現れた。フリードリヒ・グルダの芸術とその魅力は、彼が残した膨大な録音遺産のおかげもあって、今日に至るまでまったく色褪せていない。