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エフゲニー・キーシン

エフゲニー・キーシン

ピアノ、作曲

ロシア出身のピアニスト、エフゲニー・キーシンは、同世代中最も卓越した音楽家の一人であり、そのヴィルトゥオジティと雄弁なピアニズム、想像力と洞察力に富んだ演奏により、世界中の聴衆や批評家から敬愛されている。各地で絶賛されている彼は、ウラディーミル・アシュケナージ、ダニエル・バレンボイム、リッカルド・ムーティ、小澤征爾、サー・アントニオ・パッパーノら著名な指揮者たちや世界有数のオーケストラの間で引く手あまたの存在である。 1971年、モスクワ生まれ。真に稀有な楽才に恵まれたキーシンは、2歳になった直後から、耳で聞いた音楽をピアノで演奏し、即興演奏を行ったが、それ以前から既に、彼のピアノに対する情熱には完全に火が付いていた。6歳の時、傑出した才能のある若い音楽家を育成するモスクワのグネーシン音楽大学に入学し、同校で、彼の唯一の教師となるアンナ・パヴロヴナ=カントールに師事した。たちまち上達を見せたキーシンは、10歳でモーツァルトのピアノ協奏曲第20番を弾いて協奏曲デビューを飾った。翌年、モスクワで自身初のリサイタルを開催。キーシンの国際舞台への躍進のきっかけは、1984年のモスクワ音楽院大ホールでのドミトリー・キタエンコ指揮モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団との共演であり、この時ショパンのピアノ協奏曲第1番と第2番を演奏した。 キーシンによるショパンの協奏曲の演奏は、メロディア・レーベルからライブ録音としてリリースされ、12歳のピアニストの成熟した音楽性をソビエト連邦の内外に知らしめた。1985年に東ヨーロッパで初めて演奏し、翌年に日本ツアーが実現。1987年にベルリン音楽祭に出演して西ヨーロッパ・デビューを果たした。1988年、ヘルベルト・フォン・カラヤンの前で私的に行った演奏をきっかけに、カラヤンからベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のジルヴェスター・コンサート(ベルリン)のソリストに抜擢され、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を弾いた。1989年、カラヤンの死後数週後にドイツ・グラモフォンから発売された同公演の録音は、この協奏曲の演奏史上に重要な節目をもたらす名演としてすぐさま称えられた。 キーシンは、1990年にBBCプロムスに初出演し、同音楽祭(1985年に創設)で初めてソロ・リサイタルを開いたピアニストとなった。その直後には、ズービン・メータ指揮ニューヨーク・フィルハーモニックとともにショパンの2作のピアノ協奏曲を演奏し、北米にデビュー。同年のカーネギー・ホールでの見事なリサイタル・デビューは、同ホールの開館100年記念シーズンの幕開けを飾った。ドイツ・グラモフォンの専属録音アーティストであるキーシンは、多くの権威ある賞を受賞している。1991年にギジアーナ音楽院から国際賞を授与され、1995年に史上最年少で『ミュージカル・アメリカ』誌から最優秀器楽奏者に選出された。2年後には、ロシア文化への傑出した貢献を称えられ、凱旋賞を受賞。これはロシア連邦から文化人に与えられる最高の栄誉賞の一つである。この他、ショスタコーヴィチ賞、王立音楽院(ロンドン)の名誉会員の称号、ヘルベルト・フォン・カラヤン音楽賞、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ賞、さらにマンハッタン音楽学校、香港大学、ヘブライ大学 (イェルサレム) 、ネゲヴ・ベン=グリオン大学の名誉博士号を授けられている。2017年に『エフゲニー・キーシン自伝 (Memoirs and Reflections) 』を出版。