アルバン・ベルク
作曲
1885 — 1935
ベルクはウィーンで富裕な商家の子として生まれた。幼い時から音楽や文学に興味を抱き、15歳の時、父が死去した頃から独学で作曲を試みるようになる。1904年にベルクの兄が弟の作品をシェーンベルクのもとに持ち込み、長きにわたり師となるシェーンベルクや同門のヴェーベルンとの交友が始まる。ベルクは一度公務員となるが、作曲活動に打ち込むためわずか2年で辞職し、ウィーン国立音楽院へ入学。1907年、「4つの歌曲」Op. 2などの曲で本格的な作曲家デビューを飾る。
師であるシェーンベルクの影響を受け、十二音技法と無調性を織り交ぜた独自の作風を確立した。また、ベルクの文学への興味は作品に色濃く反映されている。1914年、ビューヒナーの戯曲『ヴォイツェック』の観劇を機にこの戯曲を基にした無調音楽のオペラの作曲を始めた。しかしこの年に第一次世界大戦が勃発して、翌年から兵役に服することとなり、このオペラの完成は1922年となった。その他ヴェーデキントの戯曲に基づく歌劇《ルル》も代表作である。
1925年の《ヴォツェック》の初演によりベルクの作曲家としての名声は確固たるものとなるが、1933年のナチス・ドイツ政権の発足により、「退廃音楽」のレッテルを貼られたベルクの音楽も、ドイツでの演奏が不可能となった。
1935年、異例の速さでヴァイオリン協奏曲を書き上げたが、腫瘍とそれが原因の敗血症により、同年50歳でこの世を去った。