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メナヘム・プレスラー

メナヘム・プレスラー

ピアノ

ボザール・トリオの創設メンバーでピアニストであるメナヘム・プレスラーは、60年にわたるキャリアを通じて、世界で最も尊敬されている傑出した音楽家の一人としての地位を確立した。ソロや室内楽の演奏で世界中の聴衆を魅了し続け、批評家から大きな称賛を得る一方、教育者としても献身的かつ精力的に活動している。 1923年にドイツのマクデブルクで生まれ、1939年にナチス・ドイツから逃れてイスラエルに移住した。プレスラーの国際的なキャリアが本格的に開始したのは、サンフランシスコで開催されたドビュッシー国際コンクールで優勝した1946年である。その後、巨匠ユージン・オーマンディの指揮の下、フィラデルフィア管弦楽団との共演でアメリカにデビュー。以来、北米ではニューヨーク、シカゴ、クリーヴランド、ピッツバーグ、ダラス、サンフランシスコ、ヨーロッパではロンドン、パリ、ブリュッセル、オスロ、ヘルシンキ、ベルリン、アムステルダムなどの多数のオーケストラと幅広く共演している。 ソリストとして絶賛された約10年間の輝かしい活動の後、プレスラーは1955年のバークシャー音楽祭にボザール・トリオのピアニストとして出演し、室内楽奏者としてデビューした。この成功によって彼は、世界で最も尊敬に値する室内楽奏者の一人としての定評をすぐさま手にした。 2007–2008年シーズンに、ヴァイオリン奏者ダニエル・ホープ、チェロ奏者アントニオ・メネセス、そしてプレスラーは、ボザール・トリオとして最後の演奏を行い解散した。それは、最も名高い室内楽団の一つに終止符が打たれた、ほろ苦いシーズンであった。だが一つの芸術的偉業の終わりは、もう一つの芸術的偉業の始まりをも意味した。なぜならプレスラーは、ソリストとして、さらに室内楽奏者として (ジュリアード弦楽四重奏団、エマーソン弦楽四重奏団、アメリカ弦楽四重奏団、クリーヴランド弦楽四重奏団などと共演) 、世界中の聴衆を魅了し続けているからである。 60年近くにわたり世界的に有名なジェイコブズ音楽院でピアノを指導してきたプレスラーは、同院からチャールズ・ウェブ・チェア/ディスティングイッシュト・プロフェッサー(DP)の称号を授与されている。演奏家としてのキャリアと同等に、教師としても輝かしい成果をあげてきた彼は、「教育の大家」と高く評価されており、教え子たちはエリーザベト王妃、ブゾーニ、ルービンシュタイン、リーズ、ヴァン・クライバーンなど、あらゆる一流国際コンクールで受賞している。また、世界中でマスタークラスを開き、多くの主要な国際ピアノ・コンクールで審査員を務めている。 これまで数々の栄典と賞を贈られてきたプレスラーは、マンハッタン音楽学校、ネブラスカ大学、サンフランシスコ音楽院、ノースカロライナ大学芸術学部から名誉博士号を贈呈され、グラミー賞に6回ノミネートされた。『グラモフォン』誌と国際室内楽協会から生涯功労賞を、チェンバー・ミュージック・アメリカからディスティングイッシュト・サーヴィス賞を、米国の芸術文学全国協会からゴールド・メリット勲章を、ドイツ・レコード批評家賞から名誉賞を授与されており、アメリカ芸術科学アカデミーの会員に選出された。またプレスラーは、生涯にわたり優れた演奏活動を行い、音楽界を牽引してきた功績を称えられ、イェルサレム音楽舞踊アカデミーの名誉会員に任命された。彼が贈られたドイツ連邦共和国一等功労十字章と、フランス共和国芸術文化勲章コマンドゥールは、両国が文化人に与える最高位の勲章である。その他、名誉あるウィグモア・メダル、スペイン王妃のメニューイン賞、米国でのクラシック音楽の殿堂入り、『グラモフォン』誌の殿堂入り、音楽教師全国協会の功労賞など、受賞多数。