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ジョアキーノ・ロッシーニ

ジョアキーノ・ロッシーニ

作曲

1792 — 1868
1792年、アドリア海に面する小都市ペーザロに生まれる。14歳でボローニャ音楽院に入学し、18歳の時にはヴェネツィアで歌劇《結婚手形》を初演している。次々にオペラの傑作を生み出し、その名はヨーロッパ中に広まっていった。《アルジェのイタリア女》(1813年) や《セビリアの理髪師》(1816年) のようなオペラ・ブッファのみならず、《湖上の美人》(1819年) など、オペラ・セリアもロッシーニの重要な作曲分野である。どの作品においても、歌手には高度な歌唱技術が求められ、ベルカント様式の代名詞となった。また「ロッシーニ・クレッシェンド」は、ひとつの楽句を何度も反復しながら曲想を高潮させる、有名な書法である。 37歳で《ウィリアム (ギヨーム)・テル》を発表した後、オペラ作曲家として引退。わずか20年ほどの間に、40ものオペラを残した。それ以降の40年は、宗教音楽や歌曲、ピアノ曲などを中心に作曲した。 ロッシーニは、1855年にパリに移住したが、自宅のサロンで「音楽の夜会」を催した。そこにはグノー、サン=サーンス、リストなど、多くの作曲家が集ったという。1868年、パリで没。