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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

作曲

1770 — 1827
1770年にボンで生まれる。テノール歌手だった父ヨハンはモーツァルトを理想として、厳しく息子を教育した。ルートヴィヒはネーフェにピアノを師事したのち、ハイドンとの出会いを機に1792年にウィーンに移住。卓越したピアノ奏者として活躍しながら、作曲を本格的に学んだ。 1795年には自身のピアノ独奏で最初のピアノ協奏曲を初演、その5年後には交響曲第1番も発表している。 20代後半から聴力に異常がみられるようになり、1802年には避暑地ハイリゲンシュタットで遺書をしたためた。それをきっかけに創作意欲がみなぎって、「傑作の森」(ロマン・ロラン) と呼ばれる時期に突入する。交響曲第3番《英雄》(1804年) 、歌劇《フィデリオ》(1810年) 、ピアノ協奏曲第5番《皇帝》(1810年) 、中期の一連のピアノ・ソナタ等多くの名曲を生み出した。 40代でほぼ全聾になり、持病に苦しめられ、甥カールの非行にも苦悩した。その最中に書き上げられた交響曲第9番 (1824年) と「ミサ・ソレムニス」(1823年) は音楽史に名を刻む傑作である。 生涯で9つの交響曲、16の弦楽四重奏曲、そして32のピアノ・ソナタを生み出し、後世に多大な影響を及ぼした。1809年以降、宮廷などに属すことなく独立した音楽家として活動できたことも、彼の才能を物語っている。 1827年に58歳で死去。葬儀は2万人が参列する異例の規模となった。