ヨハン・シュトラウス2世
作曲
1825 — 1899
1825年、ウィーン郊外で生まれる。ワルツの作曲家だった父ヨハンの影響で、音楽家を志す。父親は、宮廷舞踏会音楽監督までにのぼり詰めたが、息子が同じ道を歩むことを嫌い、妨害を試みた。
1848年に革命が起こった際、「革命行進曲」や「自由の歌」などを作曲し、運動の先頭に立った。この時点で、父と息子の人気は逆転するまでになったという。
父が没すると、ヨハン2世は父の楽団を自分の楽団に吸収した。ヨーロッパ、ロシア、アメリカなどに演奏旅行を行い、弟のヨーゼフとエドゥアルドも作曲家としてデビューさせた。自身の楽団のために、ポルカ、マーチ、そしてワルツなど、総計400以上の作品を作曲。《美しき青きドナウ》(1866年)、《ウィーンの森の物語》(1868年)、《雷鳴と雷光》(1868年) など、情景描写と豊かなメロディーを兼ね備え、その技術はワーグナーやブラームスも評価している。
1871以降年には、オペレッタの作曲にも取り組む。《こうもり》(1874年) と《ジプシー男爵》(1885年) は重要なレパートリーとなり、今日でも頻繁に上演されるが、他のオペレッタは演目から消えている。
死の直前には、ウィーン宮廷歌劇場監督だったマーラーから作品を委嘱されるが、完成することはなかった。1899年に、肺炎をこじらせて没。